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セルフコントロール研究所 ~ ともぞうブログ

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2011/08/07(日) 21:19:48

[続ける方法] 行動分析学的な何か

行動分析学的に行動の原因を考える方法について書きます。本2冊(『人は、,なぜ約束の時間に遅れるのか 素朴な疑問から考える「行動の原因」 (光文社新書)』『行動分析学入門 ―ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書)』)読んだだけで知ったかぶりするわけですが。
次のような図を描きます。

on.jpg

こんなの、わざわざ図にする意味あるの? 私も最初、そう思いました。
しかし、この図は便利です。解説します。
分析する対象の行動を真ん中に書きます。「電灯のスイッチをオンにする」と。
そしてその行動の前の状況と後の状況(先行事象・後続事象)を書いて、矢印で結びます。
「明るくて見える」という後続事象は、将来同じような状況が発生したときに同じ行動が行われやすくなると思われます。これを「強化」と言い、(↑)をつけます。
この図を見てわかることは、「暗くて見えない」という状況があるときに「電灯のスイッチをオンにする」という行動が起こされ、その行動は、「明るくて見える」という後続事象によって強化される、ということです。

次に、「電灯のスイッチをオフにする」という行動について考えてみます。

off.jpg

こんな感じでしょうか。
しかし、部屋を出るときにスイッチをオフにすることを思いつかない場合は多いですし、『消灯』という貼り紙が貼っていなかったら忘れてしまうでしょう。さらに、消し忘れを怒る人がいなかったら、「電灯のスイッチをオフにする」という行動は強化されません。

「どうして電灯のスイッチを消し忘れるんだろう?」という問題に対して、「私はうっかり屋さんだから」と考えて、「忘れないように気をつける」という解決策(?)を出すのか。

「部屋から出るときに必ず目に付くところに貼り紙をしておいて、消し忘れが発覚したらその人を厳しく注意する」という対策を立てるのか。

大違いだと思います。

ポイントとしては「因果関係」をがちがちに考えないこと。行動に影響を及ぼす可能性がある先行事象・後続事象をたくさん書き出すこと。
たとえば、「ブログを書く」。

blog.jpg

こういう図を書けば、毎日ブログを書くためにはどうすれば良いかわかります。
「ブログを書け」というリマインダーメールが届いたからと言って、100パーセントブログを書くとは限りません。でも、それによって思い出してブログを書く可能性はあるわけです。よって、左側を増やすよう対策を考える。
ブログを書くのに時間がかかると、次回から書かなくなってしまうに違いありません。よって短時間で書けるように、テーマを決めておくとかネタを集めておくとかテンプレートを作っておくとかします。それをしたからといって100パーセントブログを書くとは限りません。でも、一つの対策にはなります。

こんな簡単な図でも、「気を引き締める」とか「断固続けることを決意する」よりは、よっぽど役に立つはずです。
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2011/06/25(土) 20:00:56

[続ける方法] ごちゃごちゃ考えてないで、とりあえず始めてみよう! 絶対に失敗するよ!

たしかに、考えてばかりで行動しなければ、成功しません。
しかし、ある程度考えてから行動したところで、絶対に失敗します。

例えば、タバコをやめようとする場合。タバコを吸うこととやめることのメリット・デメリットを考え、やめることにしました。しかし、食後にふと一服したくなる。仕事が終わってオフィスを出るとき、一日がんばったご褒美に吸いたくなる。すごくイヤなことがあったときに、ストレス解消したくなる。そんなことがある度に、吸うべきか吸わないべきか散々迷い、99回誘惑に勝っても、やがてつい「1回だけ」吸ってしまう。罪悪感とか、「1本も2本も同じ」とか、いろいろ考えているうちに、タバコをやめるのをやめてしまう……。

ダイエットを開始して、食事を制限して、運動するんだけど、結果が出ない。「すぐには結果は出ない」と自分に言い聞かせるものの、「今はせっかく美味しいものがあるから食べて、次から我慢しよう」と思っていると、いつまで経っても結果が出ない。ダイエット法が悪いんだと思い、別の方法を探す。他の方法でも、結果の大小はあるけど、同じことの繰り返し……。

なぜこんな風になってしまうのでしょうか。
禁煙失敗歴数十回、ダイエット失敗歴数十回の、この私が解説しましょう。

まず、あなたは大きな勘違いをしています。
あなたは自分の行動を自分で決めていると思っているでしょうが、それは大きな間違いです。
あなたに自由意思などありません。

有名な実験があります。
対象者に「好きなときに手を動かしてください」と伝え、「動かそう」と意図した時間、「動いた」と認知した時間、脳が手を動かすための準備を整えた時間、脳が手を動かす指令を出した時間、それぞれを計測します。
普通に考えると

動かそう→準備→指令→動いた

となりそうです。しかし実際には

準備→動かそう→動いた→指令(→実際に手が動く)

となっています。
つまり、「動かそう」と思う前に、すでに脳は手を動かす準備を終えているのです。脳が自動的に手を動かす準備をし、その後で「動かそう」と思わされる。しかし我々はそれを知らないので、「自分が動かそうと思ったから手が動いた」と思い込んでいます。

これは眉唾な実験じゃありません。他にもいろんな実験結果があって、「自由意思がない」というのはほぼ事実だと私は思います。もっとも、「準備」から実際に手が動くまでには時間があり、その間に「動かさない」ことはできるので「自由否定」はあります。
詳しくは『単純な脳、複雑な「私」』を読んでみてください。

やだやだ! そんなのやだ! ボクは自由なんだ! 自分のことは自分で決めるんだ! 自由意思がないなんてウソに決まってる! ボクはこれまで自分で選択してきたんだ!

はい、そうですね。そう思いたいですね。
でも、違います。もし仮にすべての行動を自分で「意識して」決めなきゃいけないとしたら、「できる」ことをいちいちすべて検討して選択・決断しなければいけません。大変です。無理です。
ほとんどの行動は自動的に決まっています。にもかかわらず、私たちは、自分で自由に選んだつもりになって、満足しているのです。これは悪いことではありません。
私なんかは、人間がまったくできていないので、小さいことですぐにイライラします。電車を降りて、急いでいるのに、駅のホームが混雑していてゆっくりしか歩けないと、周りの人を片っ端から突き倒して進んでやろうかと思ってしまいます。これは、「自分で選べてない」と思うからイライラするのです。
ゲームが、小説や漫画や映画よりもすぐれている点は、「自分で納得して決めている」と思い込むことができる点だと思います(竜王の城を見ろ ~ ともぞうブログ)。
人間が幸せかどうかは、自分の行動を、自分が納得して選び取ったものだと信じられるかどうか、という点に大きく依存していると思っています。

さて、あなたは、禁煙するべきかしないべきかを、そこそこ考えて、禁煙を実行に移したとしましょう。
すると、いろんなタイミングで、タバコが吸いたくなります。

普通の人は、食事を採ると、ドーパミンがドバドバ出て、脳波のアルファ波が増えて、満足します。しかし、ニコチン中毒の人は、ドーパミンを出さなくてもニコチンがアルファ波を増やすので、だんだんドーパミンが出なくなります。ついでに、ノルアドレナリンも減ります。つまり、食事をしてもタバコを吸わない限りアルファ波が増えないので満足できず、ノルアドレナリンが少ないので、いつも不安です。
喫煙者は普通、そんなことを知りません。ただ、

食後にタバコを吸う→満足できる

ということを無意識に学習するだけです。
ハトでさえ

ボタンをつつく→エサが出てくる

ということをあっという間に学習します。
ですから、あなたの脳は、食後には、自動的にタバコを吸う準備を開始します。その後に「タバコを吸いたい」と思います。
しかし、ここで「ボクは自由だ! 自由意思はある!」という勘違いをしていると、「タバコを吸いたい」という気持ちを、「自分の(大事な)感情だ」と思ってしまいます。ところがそれはウソです。
先に「食後にタバコを吸う→満足できる」という学習したデータがあって、それに基づいて脳がタバコを吸う準備を整えて、それから気持ちが作られているだけです。「自分で選び取っている」と思う方が幸福だからです。これまでずっとタバコを吸ってきた自分を愚かだと思いたくないからです。タバコを吸うことを肯定して自己正当化した方が気持ちいいからです。

いまいちスッキリしない方も多いと思うので、また『単純な脳、複雑な「私」』から。ちょっと長いですが引用します。

 ところで、脳梁切断の実験にはまだ続きがあってね、たとえば、右脳に〈笑え〉と示す。するとちゃんと笑ってくれる。ハハハハハ……と。何が表示されたかは把握できていないけど、正しい行動が取れる。笑えるんだ。
 そこで今度のテストでは、「何が表示されたか」という内容を問うのではなくて、その行動の「理由」を尋ねてみる。つまり「どうして笑っているの」と訊くの。すると、「だって、あなたがおもしろいこと言うから」と味わい深い返答をしてくれる。
「笑っている」という今の自分の行為は、もはや事実として否定できないよね。だって、もう笑っちゃってるんだから。その状態で「どうして笑ったか」と問うと、本人は「〈笑え〉とモニターに出たから」という本当の理由に気づいていないから、「笑っている理由」を探し始めるんだ。そして現状に合わせて都合良く説明しちゃう。
 あるいは、〈掻け〉とモニターに示すと、頭をぽりぽり掻くんだけど、どうしてと訊くと、「かゆいから」と説明してくれる。もちろん、かゆいから掻いたんじゃない。でも、「掻いている」という事実を説明する最適な理由は「かゆいから」だよね。
 こんなふうに脳は、現に起きてしまった行動や状態を、自分に納得のいくような形で、うまく理由づけして説明してしまうんだね。
 もっと複雑なテストをやっても似た現象が見られるよ。右脳と左脳に違う単語を表示してみる。たとえば、左脳に〈時計〉、右脳に〈ドライバー〉と見せる。すると、目の前に並べられたものの中から、きちんと「時計」と「ドライバー」を選べる。もちろん、本人には〈時計〉と表示されたことだけが意識にのぼる。左脳だからね。にもかかわらず「ドライバー」も一緒に手に取る。
 そこで理由を尋ねてみる。「なぜ時計とドライバーを持ったのですか」と。するとこんな答えが返ってくる。「〈時計〉という単語がモニターに出ました。だから時計を取りました。でも、時計が止まりそうだったから、電池を交換しようと思ったのです」。立派な答えでしょ。
――ヘンな言い訳(笑)。
 あはは。もちろん本人はまじめに答えているんだよ。こういう実験では、状況が特殊だから滑稽に思えるかもしれないけど、これは僕らが普段やっていることと変わらない。
 ただ、僕らの日常では、理由づけが比較的常識の範囲内に収まっているから、その矛盾に気づけない。だから奇妙に感じないだけの話。実のところ、僕らも常に周囲の状況に合わせてストーリーをでっちあげている――意味の偽造だ。
 こうした無意識の行為を「作話」と言う。僕らの考えていることのかなりの部分はおそらく作話なんだと思う。
 これは、自分の行動がまず先にあって、その行動の起源を常に探しているということだよね。もちろん、はっきりした根拠があって行動をしている場合もあるけれど、よく根拠がわからないまま行動しているときは(そういうケースは意外と多い)、その行動の意味を勝手につくり上げる。そして、当の本人は、それこそが「真の理由」だと心底信じている。
 きっとね、行動や決断に「根拠がない」という状態だと、不安で不安でしょうがなくなっちゃうんだろうね。理由がないと居心地が悪い。だから、いつも脳の内側から一生懸命に自分の「やっていること」、もっと厳密に言えば「やってしまっていること」の意味を必死に探そうとしちゃう。
(中略)
 さて、海馬が損傷されて記憶ができない患者さんでテストすると、やはり作話が見られることがわかる。担当医が来て手を差し出して握手をしたとしよう。この患者は〈握手をした〉という記憶は残らない。何分かで消えちゃう。
 そこで、握手するときに、手に小さな電気ショック機を隠しておいて、握手した相手をビリビリと刺激してみる。イヤなことするよね。そうでなくても海馬に損傷を受けて気の毒な患者さんなのに、その上さらにイジメのようなことをする(笑)。
 不意を突かれて刺激を受けた患者さんは「何をするんですか」と怒るんだけど、でも、やっぱり、数分ですっかり忘れてしまう。
 ところがおもしろいことにね、握手をしたとか、電気刺激されたというイベント(出来事)の記憶は覚えていないのだけど、好きとか嫌いとかいう感情の記憶は残るの。感情の記憶保管は、海馬とは別の脳部位が関係しているのだろうね。こんなふうに、記憶は多重性を持っているんだ。
 さて、その患者さんが再び診察に来たとき、「握手しましょう」と同じ医者が手を差し出すと、患者さんはイヤがる。刺激されたこと自体はまったく記憶にないけれど、でも、とにかく握手はしたくないんだ。
 そこで質問をする。「どうして握手をしてくれないんですか」と。すると患者は「手を洗っていないのです。手が汚れているから握手しては失礼だと思って……」などと答えてくる。つまり、自分の感情の根拠を、自分がアクセスしやすい記憶(ここでは「手を洗っていなかった」という記憶)に落とし込んで、説明をつけてしまう。
 これも事実を知っている僕らから見ると、すごく滑稽に思えるんだけど、やっぱり本人はいたってマジメ。間違った帰属推論に何の疑問もはさまずに真剣に話している。
 もちろん、彼らの言動を笑ってはいけない。僕らも同じように、いつも歪んだ主観経験の中を生きている。単に、その推論に論理的矛盾が生じない限り、「自分はウソをついている」ことに気づかないだけのこと。
――気づけないんですか?
 不幸にして、日常生活の中では、僕らは「自分がウソつきである」ことに気づくチャンスは少ない。だって行動や感情の根拠が不明瞭だからこそ「作話」するわけでしょ。
 そして根拠が不明瞭である以上、裏を返せば、作話した内容が「間違っている」ことを立証することはできないわけだ。だって、真の理由がわからないから作話したんであって、だから、もはや、その「真実」を作話と照合して、検証するなんて叶わない望みだよね。
 そんなわけで僕らは「本当は自分が道化師にすぎない」ことを知らないまま生活している。根拠もないくせに、妙に自分の信念に自信を持って生きている。
 そんな傲慢な僕らは、やはり「人間って生き物は主観経験の原因や根拠を無意識のうちにいつも探索している」という事実を、もっときちんと認識しておくべきなんだろうね。そうすれば、もう少し自分に素直に、あるいは他人に対して謙虚になろうって思えてくるでしょ。


タバコを吸いたくなるのは、単なる「反射」。
エサを出す前に必ずベルを鳴らすようにしておくと、犬は、エサが出なくてもベルが鳴るだけで、よだれを出すようになる。それと同じです。

「気持ち」とか「意思」とか、関係ない。ただの自動的な化学反応。それを、「ストレスが溜まったから吸いたくなった」「自分の気持ちを抑えても幸せになれない」等と「作話」しているだけ。なぜそんなことをするかというと、「自分は自由で、自分の行動を納得して決めている」と思いたいから。これまでずっと自分がタバコを吸ってきたことを「反射」とは思いたくないから。自分で自分の気持ちに従って決めてきたんだと思いたいから。

あらかじめちょっとメリット・デメリットを比較したくらいでは、このメカニズムには勝てません。99回勝っても、1回負ければ終わり、ということも多いです。
タバコを吸いたくなる度にこの葛藤を繰り返していると、苦しくてしようがなくなります。禁煙すると決意したのは自分。タバコを吸いたいと思うのも自分。そう考えていると、毎回迷います。セルフコントロールは消耗資源です(セルフコントロールは消耗資源 ~ ともぞうブログ)。フツーに社会生活を送るだけでもセルフコントロールを消耗するのに、さらに、いつ終わるかわからない戦いを続けなければならない。「1本だけ」と吸ってしまうと、あとで罪悪感にまで苛まれる。不幸になる一方です。そのうえ目標は達成できない。最初からやろうとしない方がマシです(好きな自分でいる方法 ~ ともぞうブログ)。

あまり物事を深く考えない人は、かえって禁煙できます。
自制心が強く、自分が思うとおりに人生を歩んできたというプライドの高い人は、かえって禁煙できません。

では、この強力な「現状維持強制装置」から脱出して自分を変えるには、どうするべきなのでしょうか。
まず、「自由意思なんか、ない」ということをとことん理解することだと思います。
それから、事前にそこそこ考える程度ではまったくダメで、実行する前に、とことん、とことん考え尽くすことが大事だと思っています。
何をどう考えるのかは、また書きたいと思います。

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2011/01/26(水) 21:18:12

[文章の書き方] 将棋が強くなりたければ詰め将棋をやるべきだ

『行動分析学入門』という本に、研究者が実験のためにハトにキーをつつかせる話が載ってて、思い通りの行動をハトにとらせるための効率のよい方法(「シェイピング」という)について書いてあった。tumblrで引用してわりと好評だった(ともぞうクリップ ?  私ははじめてのシェイピングに2時間40分を要したわけだが、その後研究をつづけ、数十羽のハトをシェイピ...)。

その話の続きで、シェイピングというのは、まず、めざす目標を分解するところから始まると思われる。
ハトはフツー複雑な行動なんてできないから、行動をバラバラに分解して、できるレベルにまで小さくしてやる。
そしてバラバラに分解した行動を、1つずつ、できるようにしてやる。
すると最終的に、複雑な行動もできるようになる。単純な話だけど。

シェイピングでは、目標は少しずつ引きあげ、挫折した場合はすぐに前の段階に戻って、前の段階が完全にできるようになってから再挑戦するのが秘訣だ。

しかし、最初の段階の行動がすごく難しい場合がある。

例えば、将棋。
序盤、打った手が良い手なのか悪い手なのかの評価さえ極めて難しい。
じゃあどうするか。
『行動分析学入門』には、親が子に歯みがきを教える場合が「逆行チェイニング」の例として紹介されているが、私は詰め将棋が「逆行チェイニング」だと思う。
一番最後の段階を、バラバラに分解して、できるようにするのだ。
まず、1手詰め。そして3手詰め。11手詰めとかがすぐできるようになると、そのパターンに持って行くための中盤の打ち方が分かってくるのではないか。

もうひとつ、最初の段階がいちばん難しいのが、文章を書くことだと思う。
ネタを見つけたり、発想したり、構想するのが、いちばん難しい。ネタさえあれば、書ける。
ブログにしても小説にしても、書く能力を上げるためには、すでにある材料を使って、最後の仕上げをする練習をするのが良いと思われる。
将棋と同じで、どういう局面でどういう持ち駒があれば最後まで持って行けるか、が分かれば、ネタを見つけたときにどういう方向性で考えれば良いか、分かるようになるはずだ。

だから、ブログを書くときに、「オリジナルで、自分にしか書けない、みんながあっと驚くような」ネタを探す必要は、最初は、ない。
ありふれたネタで美味しい料理をつくれるようになれば、どんなネタを手に入れれば良いのか、わかるようになるはずだ。

小説も、いきなりオリジナルでこれまで誰も考えたことのなかったものを書こうとすると、まず挫折すると思う。借り物のキャラクターでもストーリーでも良いから、完成させて、達成感を味わいながら、練習していけば、作業の序盤もうまくなるに違いない。
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2010/07/31(土) 06:44:18

[続ける方法] 絶対に達成可能な目標の例

以前書いたこと(絶対に達成可能な目標を設定しよう)について、具体的に書いてみます。

絶対に達成可能な目標として

体重を量る
食事を記録する
踏み台昇降運動をする
好きな小説を1ページだけ書き写す
3分間ブログをする

等が考えられます。
「やろう」と思わなければ、やらないことです。
しかし、「やろう」と思えば絶対にできるはずのこと。
「体重を量る」なんて、朝起きてトイレ行った後に体重計の上に乗って、体重計の近くにあらかじめペンとノートを置いといてメモするだけ。寝るときの服なんてどうせいつも似たようなもんだから、服を脱ぐ必要もない。

食事の記録は難しいですが、これができないとやせられない。
レコーディング・ダイエットの秘訣を5か条にまとめてみた 読書猿Classic: between / beyond readersにあるように、いきなり食事制限しようとするんじゃなくて、それを我慢して、まず記録に徹する。記録ができてから、次の段階に進む。
完全な記録すら難しければ、まずは食べた時間と食べたものだけを記録する。それが無意識にできるようになってから、量とかカロリーとかを記録する。

つまり、前のエントリー(「わかっちゃいるけどできない」改善法 ~ 煩悩リセット稽古帖2)で書いたように、行動分析学的に、ハトに行動を教えるように、自分に行動を教える。その際の秘訣は

即時強化
目標は少しずつ引き上げること
挫折をした際の対処の仕方

の3つ。
3つめの「対処の仕方」というのは、挫折をしたら、前の段階に戻り、容易に実行できることを、より完璧に、無意識に実行できるようになるまでやる、ということ。

簡単に、無意識に実行するためには、工夫が必要で、例えば運動をするのは、すごく良い投資であるのはわかってるけど、ハードルが高くてなかなか実行できない。
そこで、踏み台昇降運動です。

実行する際には全く何の準備も要らない。着替えなくても良い。気合いを入れる必要すらない。
それでも、毎日やれば、絶対に違ってくるはず。

私は小説を書きたいと思ってるので、今後、宮部みゆきの小説でも書き写そうかと思っています。
毎日キーボードを叩くだけでも、絶対、小説を書く能力は上がると思います。

村上春樹は、毎日必ず、原稿用紙10枚だけ書いてやめ、10キロ走る、ということをずっと続けてきたそうです(村上春樹ロングインタビュー)。
レコーディング・ダイエットの秘訣と通じるものがあります。

ネットで自分を表現したい人は、3分間ブログをやってみてはいかがでしょう。
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2010/07/27(火) 23:26:23

[考えない練習] 「わかっちゃいるけどできない」改善法 ~ 煩悩リセット稽古帖2

『煩悩リセット稽古帖』は、そでの部分に

本書を少し読むと、まるで心理学の本のようだと思われるでしょう。
そう、仏道は、宗教ではなくて、お釈迦さまが見抜いた心理学。
現代に生きる私たちにこそ役に立つ精神トレーニングメソッドなのです。


と書いてあるような本ですが、しかし、第1章のはじめの「業(カルマ)」についての説明が、やや「怪しげな宗教風」に感じられてしまう気がします。
「業(カルマ)は心の中に蓄えられたエネルギー」という最初の記述より、その何ページか後の「私たちを裏から操っている潜在力、それが業(カルマ)です」という表現の方が、まだ受け入れやすいと思います。

この「業(カルマ)」というのは、私は、「反射」だと思っています。
要するに、パブロフの犬です。
身体の条件反射ではなく、脳の、脳内の電気信号とか化学物質の条件反射。

「ふつうの燃料は使うと減りますが、業(カルマ)の煩悩エネルギーは使うと増えるのです」とこの本では書かれていますが、反射の回路が太くなっていく、ということだと私は解釈しています。

同じ反応を繰り返していると、その反応に至る道が、広く通りやすくなっていく。
タバコを吸っているとどんどん吸いたくなり、毎日酒を飲んでいるとどんどん飲みたくなり、食べれば食べるほど食べたくなる。
ネガティブなことばかり考えていると発想がどんどんネガティブになっていく。

以前に書いた(「続ける」小手先の技術に頼らない)ように、『自分がたまらないほど好きになる本』という本に

行動を起こすたびに、その行動の裏にある動機となる感情、姿勢、信念を強化している


と書いてあります。

行動を起こす、あるいは起こさないことによって、我々は毎日、反射のパターン、つまり「自己」を作っているのです。

だから、正しい行動を起こして、それを続ければ、正しいパターンが身につくわけです。

ただし、気をつけないといけないことが一つ。
それは、行動分析学で言う「行動随伴性」の考え方によって、反射は身につくということです。

行動分析学入門 ―ヒトの行動の思いがけない理由 (集英社新書)』という本に、ハトにキーをつつかせる話が載っています。

ハトに、まず赤や緑の光を見せる。緑の光の後にキーをつつくと、エサが出てくる。赤の光の後にキーをつついても、エサは出ない。そうすると、ハトは赤の時はキーをつつかなくなり、緑の時だけつつくようになる。

こうやってキーをつつかせるわけですが、重要なのは、強化すべき行動の後、すぐにエサを出すということです。そうしないと、違う行動を強化してしまう。

ハトでも人間でも、こうやって行動を身につけるので、例えば、トイレの電灯をつける、という行動は、直後に明るくなってトイレが使えるのですぐに身につきますが、電灯を消す、という行動は直後には良い結果が出ないので身につけにくい。

最近私はiPadの「太鼓の達人」で遊んでいます。リズム感全くなしの下手くそですが、やってると、だんだん叩けるようになる。「うまくなってやろう」とか「どうすればうまく叩けるのか」とか、まったく考えていません。でも、やってればうまくなる。それは、自分がiPadをタップした結果が良かったのかどうか、即、画面や音でわかるからだと思います。この「即」が重要。

「行動分析学入門」でも、ハトに行動を教えた際の体験談が載っていて、行動を教える技量によって結果にものすごく差が出るということが書いてあります。

効率よく行動を教える秘訣として「即時強化」「目標は少しずつ引き上げること」「挫折をした際の対処の仕方」の3点が挙げられています。

『煩悩リセット稽古帖』でも

ネコッコの躾をする際には、現行犯で捕らえて教えるのが大切であることは申すまでもないでしょう。
同様に、わたくしたちの心をコントロールしようとするにあたっても、欲望や怒りという煩悩が湧きあがってきたそのときに、現行犯で捕らえるのが肝要です。


と書かれています。

「人間の心には双曲割引という性質があるんだ!」という発見も良いですが、むしろ、人間の行動のほとんどは反射で行われていて、反射は行動随伴性で身についていく、と理解した方が、改善する方法を考えやすいと思います。

池谷裕二が『考えない練習』の対談で言っているように

人間の行動はほとんどが脳の反射によるもので、本当は自由意思なんてないんだ、自由否定しかないんだと言うと、そのことを悲しいととらえる人がとても多くて、逆に私は衝撃を受けたんですけどね。
反射しかないんだったら、その反射を鍛えれば良い、むしろやることが限られて良いじゃないのかなと思うんですが。


と私も思います。

そして自由否定を活用して反射を組み換えるトレーニングについて、『煩悩リセット稽古帖』で

簡単かつ実用的なる新しい仏道実践法を開発いたしました。名づけて「三秒観」。


と書かれている方法。
要するに、心の動きに気づいたら、行動や言葉にしてしまう前に、3秒待つ、というだけのことです。
これで、反射として学習してしまわないようにする。
しかしこの方法、『自分がたまらないほど好きになる本』にもまったく同じ方法が載っていて、「中止法」「拡大法」と名づけられています。
アメリカを代表する心理学者と日本の僧侶、ほとんど同じことを言っています。私の実感としても、正しいです。

「わかっちゃいるけど実行できない」を実行するための訓練法は、今日紹介した本に書いてあると思うのです。

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2010/03/25(木) 22:45:58

[続ける方法] 「続ける」小手先の技術に頼らない

何かを続けるために環境を整えたり ご褒美を用意したりするのは、あくまでテクニックであって、それだけで「続けられる!」と言い切るのはいかがなものか。
やっぱり王道は、その行動を続けなければいけない本当の理由をとことん理解して、自分が失敗する理由をとことん分析することだと思う。
それを「とことん」やらずに、例えば自分に ご褒美を用意する方法を採ると、ご褒美が用意できなくなった時点で終わってしまう。逆に言うと、永遠にご褒美を用意し続けないといけない。
幸いなことに、我々には、「行動を起こすたびに、その行動の裏にある動機となる感情、姿勢、信念を強化している」という「自己創造の原則」がある。
これは、以前に紹介した本に載っていること(「自己創造」の絶対ルール)だけど、行動分析学で言う「行動随伴性」と同じだと思う。実験用のハトにボタンを押させる訓練で使われているのと同じ考え方だ。
ご褒美によって行動を続けても、「ご褒美が欲しい」という誤った動機と、「この行動をすればこの ご褒美がもらえる」という誤った信念が強化されるだけである。

「正しい動機、信念に従って正しく行動する」ことによって、正しい動機と信念を育て、正しい行動を続けられるようにすることができる。
タバコをやめるときに「どうせいま我慢しても明日になったら吸ってしまってるんだ。我慢してもムダだから吸ってしまえ」は、間違い。
正しい動機と信念に従って、意識してタバコを吸わないという選択をすれば、それは、無駄にはならない。貯まっていくのだ。正しい動機と信念が強化されて、正しい行動を続けられるようになるのだ。だから、安心して。「努力が無駄になるのではないか」「楽しみを放棄するのは人生において損なのではないか」という恐怖が、正しい行動からあなたを遠ざけているのだ。

あなたが本当にその動機・信念を正しいと思うのなら、安心して実行するべきだ。

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