FC2ブログ

セルフコントロール研究所 ~ ともぞうブログ

--/--/--(--) --:--:--

[スポンサー広告] スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010/09/13(月) 07:13:03

[文章の書き方] こだわり

 彼は学校に向かっていった。

 この文は、あまり深く考えなければ、三つくらいの意味にとれると思う。
「彼は学校に向かって行った」と「彼は学校に向かって言った」、そして、「向かっていく」を抽象的にとって、「対抗する」とか「対決する姿勢をみせる」とかいう意味。

 彼女はいった。

 この文なら、「彼女は言った」「彼女は行った」「彼女は逝った」「彼女はイった」(笑)くらいが、すぐに思いつく。

 書く際の効率を考えれば、「いった」をそのままひらがなに変換するようにしておくのがいちばん良い。
 いくつかの候補から最適の漢字を使った表現を選び出すことは、さほど手間ではない。が、それ以前に、「選ぶ」つもりで書くのと「選ばない」のつもりで書くのとでは、書いているときの意識の働きかたが全然ちがう。最初から「選ばない」つもりで書くほうが、はるかに速く書けるのだ。まず書き上げてから手直しする、というのは非常に面倒な作業だ。どれも「いった」になっていて、検索ができないから。
 では、読むときはどうだろう。「彼女はいった」で、すぐに意味は通じる。この文だけが独立して置かれている場合には少しとまどうが、そんなことはあまりない。たいていは文脈というものが意味をとる手助けをしてくれるからだ。
 それでもぼくは、「言った」「行った」「逝った」「イった」と書きたい。

 世間には文章があふれている。新聞・雑誌やパソコンソフトのマニュアルだけでなく、パソコン通信やインターネットからでも、いくらでも手に入るし、向こうから飛び込んでくるし、読まなければならない場合もたくさん起こる。しかも、読んでしまわない限り、どういう文章が書かれているかはわからないのだ。
 読んでおきたい文章が限りなくたくさんあるとき、ほんの少しでも思考を中断させられたくない。余計なストレスを感じたくない。
 また、多くの人が読む文章の場合、書く際の手間と、読む際の手間とでは、読む際の手間のほうが省かれるべきだと思う。ほんの少し引っかかる場所があるだけでも、読み手全員のことを考えれば、書き手の手間の方が、(人数×手間)の値は小さくなるはずだからだ。
 そして書き手としても、ライバルが数限りなくいる状態で、しかもぼくのような特別な才能のない書き手としては、そういう細かい配慮で勝負するしかない。
 だからぼくは「言った」と書きたいのである。「おまえの文章を読んでるヤツなんていないよ」と言われれば、その通り。「そんなのたいした違いじゃない。もっと重要なことがあるはずだ」と言われても、その通り。しかしこれは、ぼくの好みとこだわりの問題なのである。カッコをつけた言い方をすれば、美学の問題である。上記はそれを正当化するためにあとで付け加えた論理にすぎない。


1997年6月22日に発表した文章です。
スポンサーサイト
トラックバック:0 - http://tomorozo.blog10.fc2.com/tb.php/146-0d2f5a74

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。