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セルフコントロール研究所 ~ ともぞうブログ

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2010/09/16(木) 22:43:24

[文章の書き方] 「文章の書き方」を語る資格

 本題に入る前に、ちょっと寄り道をしましょう。
 ぼく(この文章の書き手)に「文章の書き方」を語る資格があるのか? という問題があります。
 ‥‥いえ、そんな問題は存在しないのです。
 文章で書かれた「文章の書き方」が現にそこに存在するのですから、その内容と文章から、役に立つかどうかを読者自身が判断して、自分に必要なところだけを参考にすればいいのです。
「自分には文章の書き方を語る資格がある」と書かれているだけで素直にそれを信じてしまう人は、普段から詐欺師に騙されないように注意したほうがいいでしょう(笑)
 ですが、市販されている「文章の書き方」の本には、この「語る資格」について触れている本がたくさんあります。おもしろいのでその理由をちょっと分析してみますが、簡単にいうと、書き手が恥ずかしいからでしょう。実際、ぼくも恥ずかしいです(笑) 「お前みたいなヤツが何をエラそうに」。そう言われたら返す言葉がないのです。
 しかし、自分の書いたものが役に立ったりおもしろかったりする可能性がほんの少しでもある限り、発表するべきだとぼくは思います。「恥ずかしい」などというのは書き手の都合にすぎません。

(1)実績

 極端なのが、D.R.クーンツの「ベストセラー小説の書き方」でしょう。大学で研究されているものや学者に評価されているものではなく、「売れているもの」こそがすばらしいものだと主張し、自分の書いた本がどのくらい売れているか、数字を挙げています。さすがクーンツ、というか、すさまじい力技です (笑) 反論できませんね。しかし、それだけで「自分には『語る資格』がある」と言っているわけではありません。ここが「ベストセラー‥‥」のすばらしいところだと思うのですが、クーンツはこう言っています。

 わたしはこの本を買ってくれた読者諸氏に、損をさせはしないことを約束しよう。わたしは金儲けを目的にこの本を書いたわけではない。わたしの受け取るお金は、同じ時間と労力を注いでわたしが別の小説を書いた場合の2,3パーセントにしかならないだろう。この本を書いたことは、わたしにとっては経済的に言えば愚の骨頂といえるものなのである。
 しかし、わたしは金儲けのためにものを書くのではない。それは誰にしたって同じだろう。わたしは楽しみを与えるために書いている。痛みと恐怖と残虐な行為でいっぱいのこの世界に、数時間の逃避と数分間の喜びや忘却を提供できるとすれば、すばらしいことではないだろうか。わたしは自己満足のために書くので、自分はそうでないと言いきるような作家はうそつきだと思っている。わたしは死ぬことが恐いから書く。もしかしたら、可能性はほんの少しだが、わたしの作品のどれかがわたしの死後も生きのびるかもしれないのだから。そうすれば、死をくじくことにもなる。
 わたしの考え、感情、希望、夢を伝えるためにもわたしは書く。ひとりぼっちのおびえた人々すべてに手をさしのべて、心の底では私たちは一人ひとり皆同じであることを知らせることも、作家の役目なのだ。無条件で互いに愛し合うべきだということではなく、例外なく誰にも好意を持てなどというつもりもない。つまるところ、まわりには退屈な人、間抜けなやつ、まったくの悪党などがいるものだ。が、皆ひとりぼっちでおびえているのにかわりはない。彼らもわたしたちと同じ苦しみや喜びを共有しているのだ。わたしたちは共通の運命の下にいるのにすぎない。
「わたしはひとりぼっちじゃない。わたしには恐いものなんか何もない」という人があったら、その人は自分自身をあざむいている。われわれはすべて孤独で恐怖に駆られているのだ。たとえ男の中の男というような人物にしても、また幸運にも結婚して愛し合っている人々にしても、心の奥底で、宇宙の虚無を無意識に感じとるとき、恐怖にかられるのである。ふだん、われわれはこの恐怖を自分自身にも隠している。全宇宙における自分の存在を問いつめてゆくと、広大な浜辺の砂粒よりも小さく、力ないものに思えて、ただもう耐えられなく、自滅的になってしまうものだ。だから、わたしたちは冗談を言い、大笑いし、目の前の出来事で気を紛らわせようとする。わたしたちが物語を読むのは、読むことで皆が一体になれるからであり、また神(あるいは生物学的な偶然)がわたしたちに与えた短い人生だけでなく、もっと多くの人生を味わうことができるからである。
 閑話休題。たった一人か二人の読者のためでもいい。君らがしっかりした技術を大切にする、すぐれた本職の作家となるためのはげみに本書がなるなら、これを書き上げるためにわたしの費やした時間は、価値ある時間となるだろう。


「損をさせはしないことを約束しよう」というのは恐ろしいハッタリですが(笑)、少なくとも金儲けのために書いているわけではない、と主張しています。日本人は自分のプレゼントを「つまらないものですが」と言って差し出すのが好きですが、ぼくはあまり好きではありません。ハッタリをかませ、とまでは言いませんが、胸を張って出せるように精一杯の努力はするべきでしょう。「これは手抜きです」と言われたものを読む気には、少なくともぼくはなれません。
「恥ずかしさ」を何とかする方法としては、「恥ずかしい」と思えなくなるくらいまで努力する、という正攻法だと思います。どんな場合でもそれができれば理想なんですけどね‥‥。
「ベストセラー‥‥」は、小説の書き方の本ですが、クーンツの書いたものなので、まず読者を楽しませることを意図して書かれています。読み物として非常におもしろいので、役に立つかどうかは人それぞれでしょうが、おすすめします。

(2)経験

(1)の「実績」とほとんど同じです。厳しくチェックされる新聞の記事を書いてきたとか、「文章修行」を何十年やってきたとか述べるパターンです。その結果得られたノウハウを公開する、というのは説得力がありますが、あんまりくどくどとそればかり書いているような本は要注意です。読者に安心感を与える効果はあるかもしれませんが、たいしたことを書いてないのにまるですばらしく役に立つかのように読者を騙している(書き手にその意識はなくても結果的にそうなっている)可能性があります。

(3)多少は論理的な言い訳

 いい文章を書ける人がいい「文章の書き方」を書けるわけではない、という主張をしている本もあります。それはたしかにそうです。実際、有名な小説家の書いた「文章の書き方」で、役に立たない、退屈な代物もたくさん存在します。しかし、だからといって、文章がうまいことで有名だというわけではない書き手が、「文章の書き方」を語る資格がある、ということにはなりません。いい「文章の書き方」を書けるなら、いい文章も書けるはずで、結局読者は書かれているものから自分で正当性を判断するしかないのです。まあ、書き手としては、ちょっとした予防線を張ることで気恥ずかしさを消そうとしているのでしょうね。

(4)ごまかし

 なんだかよく意味のわからないことを書いて読者を煙に巻き、結局「自分に資格があるかどうか」という問題をうやむやにしてしまうパターンです。こういうことを書く人は気分だけで文章を書いている場合が多く、非論理的で、どんな人にも役に立つ「文章の書き方」は書けない、とぼくは判断します。役に立つ部分も所々には出てくるかもしれませんので、結局自分で判断するしかないのですが。
 余談ですが、「言い訳になってない言い訳」ってよくありますよね。「どうして政治に興味がないんですか?」と訊かれた女子高生が「あたしぃ、そういうのって興味ない人だからぁ」とか答えるアレです。それ、言い訳のつもり? って言うか、それは答えになってないぞ(笑)

 結論としては、こう言うしかありません。ぼく(この文章の書き手)の書く「文章の書き方」は、あなたのプラスになる場合もマイナスになる場合も毒にも薬にもならない場合もあります、と。
 もちろん、できるだけ役に立つように書きますし、役には立たなくても、どんな意味ででもいいですから読み物としておもしろければいいなと思います。


2000年頃に「テキストのテキスト3 文章の書き方を語る資格」として発表した記事です。
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