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セルフコントロール研究所 ~ ともぞうブログ

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2011/06/25(土) 20:00:56

[続ける方法] ごちゃごちゃ考えてないで、とりあえず始めてみよう! 絶対に失敗するよ!

たしかに、考えてばかりで行動しなければ、成功しません。
しかし、ある程度考えてから行動したところで、絶対に失敗します。

例えば、タバコをやめようとする場合。タバコを吸うこととやめることのメリット・デメリットを考え、やめることにしました。しかし、食後にふと一服したくなる。仕事が終わってオフィスを出るとき、一日がんばったご褒美に吸いたくなる。すごくイヤなことがあったときに、ストレス解消したくなる。そんなことがある度に、吸うべきか吸わないべきか散々迷い、99回誘惑に勝っても、やがてつい「1回だけ」吸ってしまう。罪悪感とか、「1本も2本も同じ」とか、いろいろ考えているうちに、タバコをやめるのをやめてしまう……。

ダイエットを開始して、食事を制限して、運動するんだけど、結果が出ない。「すぐには結果は出ない」と自分に言い聞かせるものの、「今はせっかく美味しいものがあるから食べて、次から我慢しよう」と思っていると、いつまで経っても結果が出ない。ダイエット法が悪いんだと思い、別の方法を探す。他の方法でも、結果の大小はあるけど、同じことの繰り返し……。

なぜこんな風になってしまうのでしょうか。
禁煙失敗歴数十回、ダイエット失敗歴数十回の、この私が解説しましょう。

まず、あなたは大きな勘違いをしています。
あなたは自分の行動を自分で決めていると思っているでしょうが、それは大きな間違いです。
あなたに自由意思などありません。

有名な実験があります。
対象者に「好きなときに手を動かしてください」と伝え、「動かそう」と意図した時間、「動いた」と認知した時間、脳が手を動かすための準備を整えた時間、脳が手を動かす指令を出した時間、それぞれを計測します。
普通に考えると

動かそう→準備→指令→動いた

となりそうです。しかし実際には

準備→動かそう→動いた→指令(→実際に手が動く)

となっています。
つまり、「動かそう」と思う前に、すでに脳は手を動かす準備を終えているのです。脳が自動的に手を動かす準備をし、その後で「動かそう」と思わされる。しかし我々はそれを知らないので、「自分が動かそうと思ったから手が動いた」と思い込んでいます。

これは眉唾な実験じゃありません。他にもいろんな実験結果があって、「自由意思がない」というのはほぼ事実だと私は思います。もっとも、「準備」から実際に手が動くまでには時間があり、その間に「動かさない」ことはできるので「自由否定」はあります。
詳しくは『単純な脳、複雑な「私」』を読んでみてください。

やだやだ! そんなのやだ! ボクは自由なんだ! 自分のことは自分で決めるんだ! 自由意思がないなんてウソに決まってる! ボクはこれまで自分で選択してきたんだ!

はい、そうですね。そう思いたいですね。
でも、違います。もし仮にすべての行動を自分で「意識して」決めなきゃいけないとしたら、「できる」ことをいちいちすべて検討して選択・決断しなければいけません。大変です。無理です。
ほとんどの行動は自動的に決まっています。にもかかわらず、私たちは、自分で自由に選んだつもりになって、満足しているのです。これは悪いことではありません。
私なんかは、人間がまったくできていないので、小さいことですぐにイライラします。電車を降りて、急いでいるのに、駅のホームが混雑していてゆっくりしか歩けないと、周りの人を片っ端から突き倒して進んでやろうかと思ってしまいます。これは、「自分で選べてない」と思うからイライラするのです。
ゲームが、小説や漫画や映画よりもすぐれている点は、「自分で納得して決めている」と思い込むことができる点だと思います(竜王の城を見ろ ~ ともぞうブログ)。
人間が幸せかどうかは、自分の行動を、自分が納得して選び取ったものだと信じられるかどうか、という点に大きく依存していると思っています。

さて、あなたは、禁煙するべきかしないべきかを、そこそこ考えて、禁煙を実行に移したとしましょう。
すると、いろんなタイミングで、タバコが吸いたくなります。

普通の人は、食事を採ると、ドーパミンがドバドバ出て、脳波のアルファ波が増えて、満足します。しかし、ニコチン中毒の人は、ドーパミンを出さなくてもニコチンがアルファ波を増やすので、だんだんドーパミンが出なくなります。ついでに、ノルアドレナリンも減ります。つまり、食事をしてもタバコを吸わない限りアルファ波が増えないので満足できず、ノルアドレナリンが少ないので、いつも不安です。
喫煙者は普通、そんなことを知りません。ただ、

食後にタバコを吸う→満足できる

ということを無意識に学習するだけです。
ハトでさえ

ボタンをつつく→エサが出てくる

ということをあっという間に学習します。
ですから、あなたの脳は、食後には、自動的にタバコを吸う準備を開始します。その後に「タバコを吸いたい」と思います。
しかし、ここで「ボクは自由だ! 自由意思はある!」という勘違いをしていると、「タバコを吸いたい」という気持ちを、「自分の(大事な)感情だ」と思ってしまいます。ところがそれはウソです。
先に「食後にタバコを吸う→満足できる」という学習したデータがあって、それに基づいて脳がタバコを吸う準備を整えて、それから気持ちが作られているだけです。「自分で選び取っている」と思う方が幸福だからです。これまでずっとタバコを吸ってきた自分を愚かだと思いたくないからです。タバコを吸うことを肯定して自己正当化した方が気持ちいいからです。

いまいちスッキリしない方も多いと思うので、また『単純な脳、複雑な「私」』から。ちょっと長いですが引用します。

 ところで、脳梁切断の実験にはまだ続きがあってね、たとえば、右脳に〈笑え〉と示す。するとちゃんと笑ってくれる。ハハハハハ……と。何が表示されたかは把握できていないけど、正しい行動が取れる。笑えるんだ。
 そこで今度のテストでは、「何が表示されたか」という内容を問うのではなくて、その行動の「理由」を尋ねてみる。つまり「どうして笑っているの」と訊くの。すると、「だって、あなたがおもしろいこと言うから」と味わい深い返答をしてくれる。
「笑っている」という今の自分の行為は、もはや事実として否定できないよね。だって、もう笑っちゃってるんだから。その状態で「どうして笑ったか」と問うと、本人は「〈笑え〉とモニターに出たから」という本当の理由に気づいていないから、「笑っている理由」を探し始めるんだ。そして現状に合わせて都合良く説明しちゃう。
 あるいは、〈掻け〉とモニターに示すと、頭をぽりぽり掻くんだけど、どうしてと訊くと、「かゆいから」と説明してくれる。もちろん、かゆいから掻いたんじゃない。でも、「掻いている」という事実を説明する最適な理由は「かゆいから」だよね。
 こんなふうに脳は、現に起きてしまった行動や状態を、自分に納得のいくような形で、うまく理由づけして説明してしまうんだね。
 もっと複雑なテストをやっても似た現象が見られるよ。右脳と左脳に違う単語を表示してみる。たとえば、左脳に〈時計〉、右脳に〈ドライバー〉と見せる。すると、目の前に並べられたものの中から、きちんと「時計」と「ドライバー」を選べる。もちろん、本人には〈時計〉と表示されたことだけが意識にのぼる。左脳だからね。にもかかわらず「ドライバー」も一緒に手に取る。
 そこで理由を尋ねてみる。「なぜ時計とドライバーを持ったのですか」と。するとこんな答えが返ってくる。「〈時計〉という単語がモニターに出ました。だから時計を取りました。でも、時計が止まりそうだったから、電池を交換しようと思ったのです」。立派な答えでしょ。
――ヘンな言い訳(笑)。
 あはは。もちろん本人はまじめに答えているんだよ。こういう実験では、状況が特殊だから滑稽に思えるかもしれないけど、これは僕らが普段やっていることと変わらない。
 ただ、僕らの日常では、理由づけが比較的常識の範囲内に収まっているから、その矛盾に気づけない。だから奇妙に感じないだけの話。実のところ、僕らも常に周囲の状況に合わせてストーリーをでっちあげている――意味の偽造だ。
 こうした無意識の行為を「作話」と言う。僕らの考えていることのかなりの部分はおそらく作話なんだと思う。
 これは、自分の行動がまず先にあって、その行動の起源を常に探しているということだよね。もちろん、はっきりした根拠があって行動をしている場合もあるけれど、よく根拠がわからないまま行動しているときは(そういうケースは意外と多い)、その行動の意味を勝手につくり上げる。そして、当の本人は、それこそが「真の理由」だと心底信じている。
 きっとね、行動や決断に「根拠がない」という状態だと、不安で不安でしょうがなくなっちゃうんだろうね。理由がないと居心地が悪い。だから、いつも脳の内側から一生懸命に自分の「やっていること」、もっと厳密に言えば「やってしまっていること」の意味を必死に探そうとしちゃう。
(中略)
 さて、海馬が損傷されて記憶ができない患者さんでテストすると、やはり作話が見られることがわかる。担当医が来て手を差し出して握手をしたとしよう。この患者は〈握手をした〉という記憶は残らない。何分かで消えちゃう。
 そこで、握手するときに、手に小さな電気ショック機を隠しておいて、握手した相手をビリビリと刺激してみる。イヤなことするよね。そうでなくても海馬に損傷を受けて気の毒な患者さんなのに、その上さらにイジメのようなことをする(笑)。
 不意を突かれて刺激を受けた患者さんは「何をするんですか」と怒るんだけど、でも、やっぱり、数分ですっかり忘れてしまう。
 ところがおもしろいことにね、握手をしたとか、電気刺激されたというイベント(出来事)の記憶は覚えていないのだけど、好きとか嫌いとかいう感情の記憶は残るの。感情の記憶保管は、海馬とは別の脳部位が関係しているのだろうね。こんなふうに、記憶は多重性を持っているんだ。
 さて、その患者さんが再び診察に来たとき、「握手しましょう」と同じ医者が手を差し出すと、患者さんはイヤがる。刺激されたこと自体はまったく記憶にないけれど、でも、とにかく握手はしたくないんだ。
 そこで質問をする。「どうして握手をしてくれないんですか」と。すると患者は「手を洗っていないのです。手が汚れているから握手しては失礼だと思って……」などと答えてくる。つまり、自分の感情の根拠を、自分がアクセスしやすい記憶(ここでは「手を洗っていなかった」という記憶)に落とし込んで、説明をつけてしまう。
 これも事実を知っている僕らから見ると、すごく滑稽に思えるんだけど、やっぱり本人はいたってマジメ。間違った帰属推論に何の疑問もはさまずに真剣に話している。
 もちろん、彼らの言動を笑ってはいけない。僕らも同じように、いつも歪んだ主観経験の中を生きている。単に、その推論に論理的矛盾が生じない限り、「自分はウソをついている」ことに気づかないだけのこと。
――気づけないんですか?
 不幸にして、日常生活の中では、僕らは「自分がウソつきである」ことに気づくチャンスは少ない。だって行動や感情の根拠が不明瞭だからこそ「作話」するわけでしょ。
 そして根拠が不明瞭である以上、裏を返せば、作話した内容が「間違っている」ことを立証することはできないわけだ。だって、真の理由がわからないから作話したんであって、だから、もはや、その「真実」を作話と照合して、検証するなんて叶わない望みだよね。
 そんなわけで僕らは「本当は自分が道化師にすぎない」ことを知らないまま生活している。根拠もないくせに、妙に自分の信念に自信を持って生きている。
 そんな傲慢な僕らは、やはり「人間って生き物は主観経験の原因や根拠を無意識のうちにいつも探索している」という事実を、もっときちんと認識しておくべきなんだろうね。そうすれば、もう少し自分に素直に、あるいは他人に対して謙虚になろうって思えてくるでしょ。


タバコを吸いたくなるのは、単なる「反射」。
エサを出す前に必ずベルを鳴らすようにしておくと、犬は、エサが出なくてもベルが鳴るだけで、よだれを出すようになる。それと同じです。

「気持ち」とか「意思」とか、関係ない。ただの自動的な化学反応。それを、「ストレスが溜まったから吸いたくなった」「自分の気持ちを抑えても幸せになれない」等と「作話」しているだけ。なぜそんなことをするかというと、「自分は自由で、自分の行動を納得して決めている」と思いたいから。これまでずっと自分がタバコを吸ってきたことを「反射」とは思いたくないから。自分で自分の気持ちに従って決めてきたんだと思いたいから。

あらかじめちょっとメリット・デメリットを比較したくらいでは、このメカニズムには勝てません。99回勝っても、1回負ければ終わり、ということも多いです。
タバコを吸いたくなる度にこの葛藤を繰り返していると、苦しくてしようがなくなります。禁煙すると決意したのは自分。タバコを吸いたいと思うのも自分。そう考えていると、毎回迷います。セルフコントロールは消耗資源です(セルフコントロールは消耗資源 ~ ともぞうブログ)。フツーに社会生活を送るだけでもセルフコントロールを消耗するのに、さらに、いつ終わるかわからない戦いを続けなければならない。「1本だけ」と吸ってしまうと、あとで罪悪感にまで苛まれる。不幸になる一方です。そのうえ目標は達成できない。最初からやろうとしない方がマシです(好きな自分でいる方法 ~ ともぞうブログ)。

あまり物事を深く考えない人は、かえって禁煙できます。
自制心が強く、自分が思うとおりに人生を歩んできたというプライドの高い人は、かえって禁煙できません。

では、この強力な「現状維持強制装置」から脱出して自分を変えるには、どうするべきなのでしょうか。
まず、「自由意思なんか、ない」ということをとことん理解することだと思います。
それから、事前にそこそこ考える程度ではまったくダメで、実行する前に、とことん、とことん考え尽くすことが大事だと思っています。
何をどう考えるのかは、また書きたいと思います。
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